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熊野那智大社 |
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那智山の信仰は、神武天皇東征の折りに、那智の滝を大己貴命(大国主命)の御霊代として祀ったことに始まります。
仁徳天皇の頃、那智山中腹にその社殿を移し祀ったのが今の熊野那智大社の起源で、全国三千有余社の熊野神社の御本社でもあります。
那智大社表参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いています。 |
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●熊野信仰の聖地、熊野三山の一つ
いまも人々の信仰を集める熊野那智大社
熊野那智大社の本殿は熊野造りで屋根には檜皮が使われています。1581年(天正9年)の堀内氏善との戦いで燃えましたが後に再建され、1853年(嘉永6年)に修復されました。国の重要文化財に指定されています。
なお、現在は山の上に社殿がありますが、元来は那智滝に社殿があり滝の神を祀ったものだと考えられます。その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十三柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始祖とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました
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その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。
熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興されました。 |
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名 称 等 |
熊野那智大社 |
所 在 地 |
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 |
交通・アクセス |
JR紀勢本線那智勝浦駅より、約30分 |
備 考 |
駐車場:無料駐車場あり、一部有料駐車場・有料道路あり。 |
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【熊野交通路線バス】
▼紀伊勝浦駅→那智山(神社お寺前駐車場)約30分 |
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【熊野交通定期観光バス】
▼紀伊勝浦駅→那智山→紀伊勝浦駅 約2時間50分
定期観光バスは「レトロバス」も運行されています。 |
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※那智山観光案内ページについては、熊野交通株式会社のご協力で製作されています。 |